先日4月24日大阪ドームにて、氷室のLAST GIGSに行ってきました。
行く前の心境は
氷室京介のLAST GIGSが、ついに幕を開けてしまう時が来た。
今日は
そして「幕が開いた」今と「幕が閉じる」その日までの綴りです。
1年半ぶりの氷室
突然の引退宣言から、骨折をし、痛み止めを打ってのライヴ、突然の豪雨による中断。
氷室自身は、「あの日」に終わらせたかったのかもしれない。
オーディエンスも「あの日」が終わる日になってしまうと思っていたに違いない。
今思えば、あと1曲だった。
あと1曲で終わっていたのかもしれない。
実際のセットリストは分からないが、
中断後の1曲が、今年のLAST GIGSへの繋がりだった。
あのまま中断しなければ、氷室も私達も、今、同じ空間にいることは出来なかったのかもしれない。
LAST GIGSまでの「Revenge」
氷室は最後にMCで、「このリベンジを必ずどこかで」と話した。
1週間前の「引退」から、「引退へのリベンジ」
でも、それは「お前らに氷室京介を返す」と言って、返すことが出来なかったライヴになってしまったと、氷室は思ってくれたのだろうか、
当時は、ストイックな氷室だから自分自身に対してと受け取っていた。
氷室の終わりを作るのは、氷室だから。
こんな終わりは・・・
このLAST GIGSは、なぜだか7月の横浜スタジアムのことを強く思い出す。
あの日から続いているお話と思うと納得のいく、時間の流れと意味を感じることが出来た。
のか、
あの日と繋げないと受け止められないのか、
今は、分からない。
BOOWYのVO 氷室京介
私が大阪でライヴを観て強く感じたのは、
「氷室京介はBOOWYのヴォーカリスト」だったということ
そんなの解りきってる事なのだが、
BOOWYをリアルタイムで知らない世代がやっとその姿を理解した。
LAST GIGS前に出したベストでも新たにレコーディングしてBOφWYの楽曲を収録している。
氷室の声だけでなく、演奏も全てBOφWYの時とは違う。
でも、ライヴを観て初めて
BOOWY>氷室京介
という感覚で観てしまった。
氷室を知った時から、ソロアーティストとして見ていたし、後追いでBOOWYを聴いたケド、本人が、「BOOWYの復活はない」というので、
BOOWYのヴォーカリストって見方はしない方がいいなと、なんとなく、周りの氷室ファンの話を聞いてもそう、イメージとして持ってしまった。
だから、
氷室はBOOWYのヴォーカリストだったんだなぁと
強く感じた。
BOOWYのLAST GIGS自体、解散コンサートではなく「少し早い同窓会」「再結成」と言われている。
そこまで意味合いをかぶせたことは無いだろうけど、氷室のLAST GIGSも悲壮感に溢れたものではない。
眠り込む前に
次は名古屋。
大阪ではMCで改めて、引退について話してくれました。今後もしてくれると思います。
それが全てだと思います。
氷室はライヴで笑顔でした。
それを観たら、
氷室があと少し、
ヴォーカリストとして最高な気分になるであろう、
ドームの何万人のオーディエンスの前で「歌う」ということを、
楽しんで、幸せな時間を過ごしてくれればいいなと思う。
ホント、氷室で知ったこの言葉が大好きです。
carpe diem!!!