対義語というよりも、あくまで2つの異なった表現、相反する世界感。
memento mori(メメント・モリ)
と
carpe diem(カルペ・ディエム)
私はこの言葉を背中合わせだと思っています。
見方、角度によってメメント・モリかもしれないし、
カルペ・ディエムかもしれない。
曖昧な場面でこそ、この言葉を思い出します。
memento mori(メメント・モリ)の意味
ラテン語で「自分が(いつか)必ず死ぬことを忘れるな」という意味の警句。「死を記憶せよ」などと訳される。
wikipediaより抜粋
どこで知ったかは記憶にないが、出会ったとき、「自分にお似合いの言葉だなー」と、思った。
生まれた時、高熱を出してヤバかったらしく、
親は何かと「あの時は危なかった」と言うし、小学校低学年まで病弱だった。
10代の頃は、いろいろあって自分が生きてる意味が0にしか思えなかったり、
ノストラダムスの予言とかあったし・・・
「死」って言葉を意識して、ずーっと生きてきた。
正直思いたくて思ってた訳ではない。それでもこの言葉に出会って、少し気がラクになった。
この考えはおかしなことではないと。
Carpe diem(カルペ・ディエム)の意味
「一日の花を摘め」、「一日を摘め」「今日という日の花を摘め」という部分で、「今この瞬間を楽しめ」「今という時を大切に使え」と言おうとしている。
wikipediaより抜粋
この言葉に出会ったキッカケは、氷室京介。
ツアーTシャツに、「carpe diem」と書いてあったり、
氷室もTVかライヴのMCだったかはうる覚えなのだが、
「今を楽しめよ!」という意味を知った。
この頃父や、友を失った私は「死」に空虚を突きつけられ空っぽだった。
気になる言葉ではあったけど、とても口から出せる言葉ではなかった。
実は背中合わせだった、2つの言葉。
気になった「カルペ・ディエム」を調べるうちに、
昔から好きだった「メメント・モリ」が一緒に出てきた。
この2つの言葉の世界観が対義語には見えなかった。
ただ私は目の前の「メメント・モリ」ばかり見ていたので、
背中にある「カルペ・ディエム」に気付かなかった。
そう思えたらもう今までのことはなんだったのかと、
私はメメント・モリと思っていたことが実はカルペ・ディエムだったらどうするんだよ!と。
この2つの言葉を知って以来ただのネガティブには陥らなくなった。
良い方向に疑うことが出来るようになった。
そして何気ない日常の中でこの2つの言葉を思い出すとピリッとする。
忘れて生きてる頃に思い出すと、時間を大切にしようと思える。
今の気分はmemento moriかcarpe diem
どちらでしょうか。