メメント・モリってどういう意味?
カルぺ・ディエムって言葉も出てくるけど
この2つの言葉は対義語というよりも、あくまで2つの異なった表現、相反する世界感。
私はこの2つの言葉を知った時、生きるのがラクになりました。
私はこの言葉を背中合わせだと思っています。
見方、角度によってメメント・モリかもしれないし、
カルペ・ディエムかもしれない。
私は最初「メメント・モリ」という言葉を知ったのですが、時を経て「カルぺ・ディエム」という言葉を知った時、物事のとらえ方が変わりました。
もし壁にぶち当たった時、あなたならどちらの言葉を使うでしょうか。
1つの言葉しか知らない世界より、2つの言葉を得て見る世界はどのように感じるでしょうか。
memento mori(メメント・モリ)の意味
ラテン語で「自分が(いつか)必ず死ぬことを忘れるな」という意味の警句。「死を記憶せよ」などと訳される。
wikipediaより抜粋
起源とされるのは古代ローマ時代、当時は警句として戦に勝利した将軍が凱旋パレードを行う際、同行させた使用人に「メメント・モリ」と言わせていたそうです。
「たとえ今日勝っても明日この命があるかはわからない」ということを思い出させる。
この言葉は現代でもゲームや音楽、アートなど「表現」にも用いられますが、
ルネサンス美術の時代、ペスト流行後の終末観が強まったのもあり「メメント・モリ」という言葉の表現が広まったと言われています。
最も知られているテーマで『死の舞踏』という寓話が14世紀~15世紀のヨーロッパで流行りました。
メメント・モリという言葉は「思想」から「芸術」にまで用いられています。
Carpe diem(カルペ・ディエム)の意味
「一日の花を摘め」、「一日を摘め」「今日という日の花を摘め」という部分で、「今この瞬間を楽しめ」「今という時を大切に使え」と言おうとしている。
wikipediaより抜粋
紀元前1世紀の古代ローマの詩人ホラティウスの、104の詩歌が収められた『歌集』(Carmina)第1巻第11歌にこの語句があります。
ラテン語で「Carpe」は、「(花などを)摘む」を意味する「carpo」の命令形
「Diem」は「日」を意味する「dies」の対格で目的語。
「メメント・モリなどと並び、バロックの精神の鍵となる言葉である」とされています。
カルペ・ディエムもメメント・モリと同じく、戦争の時代の中で広まった言葉。
死はそこにある。だから「生きている今を大切にする」
快楽を許容する感情へと傾いていった表現です。
現代では、音楽のタイトルでも使われますが、Tシャツのデザインに書いてあったり、メッセージとしての表現が見られます。
メメント・モリとカルぺ・ディエム。2つの言葉を知る
10代のころ「メメント・モリ」という言葉を知ったのですが、当時の私はものすごくネガティブ(家庭、周りの環境に悩んでいた)で、「死」という言葉が頭の中に沸いてるような日々でした。
ただある日「周りにも言えないけど、こんなに「死」を考えてるのって私だけかな?」と逆にネガティブ行き過ぎた先に「生きることへの執着が強い」って変換するようになりました。
だから「メメント・モリ」という言葉がすごくテーマになった。
そこから時を経て、とあるライブに行ったとき、ツアーTシャツに「カルぺ・ディエム」と書いてあり、調べてみると同時に「メメント・モリ」という言葉も検索でヒットしました。
そこで「物事はとらえ方ひとつでこうも違うのか」と、考え方が変わるキッカケにもなりました。
「メメント・モリ」という言葉の感じ方も変わったかもしれません。
たとえひとつの物事の判別に「生と死」は関わってなくても、両者の物事の捉え方、考え、発言を尊重できるようになりました。
また、違う捉え方はないか再検証するという手段も覚えたことで、メンタルの維持もだいぶよくなりました。
もちろんこの2つの言葉が使われるようになった時代は戦争という状況。危機感も絶望も空虚も比ではありません。
しかし、この言葉はだだのファッションやデザインではなく、とても大きな意味をもっています。
もし「メメント・モリ」しかしらない、言葉ひとつに縛られてしまってる方は、もうひとつの言葉も知ってほしいなと。
自分を追い込むための言葉にしないでほしいなと思います。